更新出来なくて、スイマセン(^_^;)
このページは、おいおい完成させるつもりです。(#^.^#)

私が、東京に行った1985年当時、夜疲れて家に帰り、
テレビをつけると、コンタと杏子のツインボーカルで有名な
バービーボーイズの「目を閉じておいでよ」や、「チャンス到来」
と言う、曲のPVが、流れてましたっけ?!

ハスキーでパンチの効いた二人のボーカルに、元気を頂きました。
   
2004/3/24(木) ???
東京に行って感じたこと・・・

今から、約20年前の話だが、
まず、電車が、汚く。大阪では、当時自動改札であったが、
東京では、地下鉄でも、国鉄でも導入してなくて、「パッチン」
で、あった。
地下鉄の名称が、「営団地下鉄」と「都営地下鉄」の2種類あった。
電車内では、皆静かで、殆どの人が、日経新聞を読んでいた。
列車待ちのホームでは、皆が整列乗車であった。

女性は、大阪の人の方が、綺麗と感じた?!
☆イヘー☆

   
2004/3/23(水) 一日中「雨」
めんどくさいので・・・

普通は、これから毎日住むので何軒か見て回るのだが、
めんどくさいので、1軒見て契約した。 この辺り

大阪から鞄1つで来たので、大型ディスカウントスーパーで、
布団・テレビ・テレビアンテナ(テレビの上に置く簡易アンテナ)
炊飯ジャー・風呂桶・手鍋・冷蔵庫・等等買い揃えました。

また、NTTの電話回線も購入し、ダイヤル式電話も購入する。

アパートの大家に「腐りかけのチャリ」を頂き、新生活が始まった。 ☆イヘー☆

   
2004/3/18(金) 晴れ
インフルエンザ発症!!!

しばらくお休み致します。 ☆イヘー☆

   
2004/3/9(水) 晴れ
ちょいとひと休み・・・

☆イヘー☆

   
2004/3/8(火) 晴れ
家賃3万5千円

都内では、高いから「多摩川の外へ行けば・・・」
とアドバイスされ、東急東横線「武蔵小杉」の駅にたどり着いた。

駅前の不動産屋で、紹介して頂き、駅から徒歩10分
風呂なし、トイレ付き「8畳+3畳キッチン」
家賃3万5千円で契約する事にした。

六本木、フレンチ「ル・フェスタン・モデルヌ」この辺りまで約1時間弱
ちょうど、「たまに行くならこんな店」の
テレビ撮影など行われていたが、今はもう無い。
そこの井上シェフに紹介されて、東銀座「アンリー」この辺りの依田シェフと
お会いする事になる。・・・

のちに気が付く事になるが・・・
「ル・フェスタン・モデルヌ」の社長は、「もつ鍋」ブームの仕掛け人
「元気」や、六本木ジャズハウス「サテンドール」のオーナーであった。



依田輝明氏は、フランス帰りの妥協の無い人だった。
           ☆イヘー☆

   
2004/3/4(金) 雨のち晴れ
結婚記念日「15周年」

東京での知り合いが、いないので、「アルバイト雑誌」を
スミからスミへ、見て、面接も何度も行った。

★原宿、神宮前「バスタパスタ」
当時、オープンキッチンで、話題のお店であった。!!!
現在は、リストランテ・ヒロのオーナーシェフだが、
当時料理長であった山田 宏巳氏に面接して頂いた。

★六本木、俳優座前・イタリアン「ジーノ」、佐竹シェフ
★六本木、フレンチ「ル・フェスタン・モデルヌ」、井上シェフ
ここで、「スタジエ」研修員として、「無給」で1ヶ月働く事になる。
ここでの、1ヶ月は、有意義なものであった。
と、同時にアパート探しも始まった。
なにせ、始めての土地で、家賃も安くしなければ・・・

フランス料理は、「フランス語」が判らなければ、仕事が出来ない。
従業員の「食」に関する、意気込みが違う。
正社員になっても、お給料が安い。・・・
こちらの井上シェフに、就職先を紹介して頂く事になった。
           ☆イヘー☆

   
2004/3/3(木) 晴れ
ひな祭り

とりあえず、「バラの木」で、吸収する事は、なくなり。
次に、修行する店を探していたのだが、
漠然と、「そうだ、東京へ行こう!!!」と言う事になった。

勿論、何のあてがある訳も無く、目標があった訳でも無かった。

始めは、友達の家「千葉の行徳」に居候して、就職先を決める事にした。
結局、何がしたい訳でも無かったので・・・

友達の家で、1ヶ月近く居候する事になった。・・・
           ☆イヘー☆

   
2004/3/2(水) 晴れ
卒業式の季節です。

約23年前、大学を卒業して、新聞広告で、就職した。
一応、就職活動もして、当社においでと、いう会社もあったが、
サラリーマンになる気が無く、「何でも良いから、お店がしたい。」
という訳で、手っ取り早く、食べ物やにすることにした。

家から徒歩5分の所にある、洋食屋であった。

今でも鮮明に覚えているが、お給料は10万円だったと思う。
どの業界でもそうだが、先に入社したものが、先輩であり、
仕事の出来る物の方が、偉いわけである。

その当時、私は22才、私の上司が17才と18才であった。

場所は、大阪・ミナミ・周防町の「ばらの木」という所で、
ハードな勤務時間だったが、それなりに楽しく、3年間みっちりと
修行させて頂いた。

そして単身、東京の生活が始まるのであった・・・
           ☆イヘー☆



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